東須磨小学校の事件はどこでも起こり得る! 精神力が未発達な教師たちと働き方

 

 

 

 

 

事件の内容と加害者ら4人の謝罪文はこちら下記の記事に記載してあります。

 

[謝罪文なのか?] 東須磨小学校 加害教師の謝罪文からみる現代の教師と働き方[異常]

 

 

 

 

精神力を鍛える。

フリーランスはほとんど精神力 [努力][勉強][スーパーコネクター]

 

 

 

 

精神に異常をきたした聖職者は以下の記事に乗っております。

 

警察官・教師の事件簿  働き方に異常をきたす聖職者 2019−2

 

 

 

 

さて、今回の東須磨小学校の事件は異例のものなのか?

 

 

私はどこでもあり得ることだと思います。

 

教師が教師をいじめる。

かなりショッキングに聞こえますが。

 

子供の世界では必ず起こっています。

 

Focus

残念なことに全国の小中高校などで確認されたいじめは

実に過去最多の

54万件

前年度より3割多い結果に。

 

 

 

 

 

大人の社会でも勝った負けた。

昇進した。相手を引きずり下ろした。

仕事を奪い取った。

引き抜き。脱税。賄賂

いくらでもやっています。

 

教師の世界だけないということがそもそも

おかしかったのではないか?

 

 

でも、それは私たちが思う教師像であり、

実際は子供の世界と全く変わらないのかもしれません。

 

 

 

         
 

 

 

 

  生徒は友達じゃない。怖い先生は抹殺される。

 

今、私が思うに小中高と思い出せる教師は

大体が怖い教師、叱られた教師です。

優しかった教師やただ授業するだけの教師は全く覚えていません。

 

 

 

 

今の学校では、

ただ優しいだけの教師が人気があって、

厳しいけど真っ当なことを言っている教師が人気のない教師。

そんなことが平然と行われていることが容易に想像できます。

 

 

最終的には叱るということがタブー化され、男性教師は女子生徒に近づけない。

そんな風に持って行くんでしょうか。

それが教育というのなら私は何もいうことがありません。

 

 

 

 

 

  困るのはいざ子供達が社会に出た時に迎える

 

 

 

 

         
 

 

 

 

そんな学校の先生よりも私は社会に出た後の先輩や上司の人の方がよっぽど覚えています。

最初の上司の方は本当に怖くて毎日怒られていました。

怒られすぎて恐怖を覚えるぐらいです。

でも、かれこれ10年ぐらいになりますが今、会うと私を笑顔で迎えてくれます。

その方は本当に仕事に真面目でストイック。

ちゃんとした物を提供しないと納得できない。

そんな職人気質なかたです。

まだ18歳19歳。社会経験0の私をみてイライラしたんでしょう。

でも私は、負けじと仕事しました。

怒られても怒られても負けたくなかった。

 

それは、怒られても怒られる理由がそこにあったから。

 

その人は、日々怒ってくれた。

 

今では、本当に感謝でしかありません。

 

 

Focus

自分が上司になった時に気づきます。

本当に相手のために怒るのは正直本当に疲れる。

 

 

 

 

 

いじめではなく相手のことを思って怒るということ

本当に大変です。

それは仲良くなってしまうと余計難しくなります。

自分の味方でいつも優しい先生だと思っていた人がいきなり

人が変わったように怒るんですから。

起こりなれていない2人の関係は簡単に崩れることでしょう。

 

 

 

   怒られずに社会に出た場合

 

 

         
 

 

社会に出たら必ず怒られます。

何でもかんでもマニュアル通りやってきた学生なんかは簡単に見破られるでしょう。

ちょっと怒られると、そういった人はすぐに辞めます。

家に引きこもることも考えられます。

 

 

Focus

その時、その子が何を思うか?

自分は悪くない。自分は今まで怒られずに生きてきたんだ。

怒る方が間違っているんだ。

そうだ。

怒ったアイツを、訴えてやろう。

 

 

なんて思うかもしれません。

そういった精神状態になると簡単には社会復帰できないでしょ。

怒られずに生きることがどれだけ怖いことか。

 

 

 

 

 

 

いざ働いて怒られて鬱になるよりかは

学校という場所でちゃんと怒られておく必要があると思います。

つまりは精神力を鍛える。

 

怒られていない、物事の分別がつかない、スクールカーストとかいう訳の分からない

制度の中で生活して教師になった人に本当の教育ができるのか?

今回の加害者の方たちは比較的人気があったそうです。

 

スクールカーストに乗っ取って行動した結果、

誰かをいじめるということで自分たちを守っていたのでしょう。

 

 

 

 

 

  精神力を鍛える

 

 

なぜ教師の威厳がなくなってしまったのか?

 

それは私が思うに怒られていないから。

 

つまりは精神力を鍛えていないから。

 

怒られずに、社会経験もなく新卒で教師という人に教える職業についてしまう。

 

 

今後、生徒のいじめや事件だけではなく、

教師のいじめや事件がクローズアップされるかもしれません。

今回の教師が教師をいじめる事件はどこでも起こり得る。

 

表に出てこないだけで包み隠されてきたもう1つの学校なのかもしれません。

 

 

 

 

         
 

 

 

 

こんな怖いことはありません。

小中高大学と世間から独立した空間で生きてきて、

勉強だけして教師になる。

そして、また学校という組織で今度は教える側で携わる。

そこに人間としての厚みなんか出るわけがない。

 

 

 

失敗して怒られて頑張ってその人は精神が整い大人になっていく。

社会に出たことがない人間が社会の勉強を教える。

生きるということは、うまいことレールに乗ることではなく。

自分で歩くこと。

 

 

人生100歳時代だから100歳までとりあえず生きる。

ではなく100歳までに自分ができることを考え、そのために行動する。

もしかしたら100歳まで生きれないかもしれない。

それでも、自分の人生はいいものだったと思えることが100歳まで生きることよりも

よっぽど大事なことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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