ランドセルの巨大化と
学校教育の行き詰まり感
ランドセルの巨大化とともに教科書も大きく分厚く重くなってきているようです。
教科書のカラーページの増加。
より見やすくするために教科書自体のサイズが大きくなった。
教科書を1年間使わなければいけない
概念を変えろ
もうパソコンでよくない?
もしくはタブレット。
最近のものはかなりスペックが上がってきている。
パソコンを毛嫌いする教師
だいたいそう言う人たちはガラケーを使っている人たち。
なぜ重たい教科書を、毎日持って行って持って帰ってを繰り返すのか?
その教科書の全部をその日使うわけじゃないでしょ?
使うとこだけ見れでばいいし、わざわざ先生の書いたことを写すのが授業なら
タブレットで十分だ。
そんな無駄な時間は必要ないです。
なぜ教科書を置いていくのは禁止なのか?
自宅学習の影響
管理上の問題
それを実行するのはそんなに難しくないです。
毎回、帰るときに机の中が空になっているか調べるだけですから。
しかし、そんな楽なことをするんじゃなく
どうしたら子供達の負担を減らせるか?
を考えなくてはならないことを忘れてしまっている教育現場。
登校時・下校時の子供を見ると
低学年の場合、小さい身体だから余計重そうに見える。
後ろに重さがあることのよって身体に問題が起きるんじゃないかと思われる。
身長の低下。
骨の成長。
フラつくことによっての歩行者、車の危険性。
忘れ物をする恐怖。
毎日、なぜ使いもしない教科書を運ばなければいけないんだろうと言う戸惑い。
中学生では、リュックサックでなく、肩からかけるカバン(ショルダーバッグ)を使っているところもあります。
この場合、体への悪影響はさらに心配です。同じ側の肩にばかりかけていると
脊柱が湾曲してしまう可能性もあります。
中学生は、部活動の用具も持たなければならないわけで、その重さも考えなければなりません。
歩く距離が長い子はより深刻です。
そもそも「巨大化」した経緯に問題がある
具体的には、次の2つの勘違いによって、子どもたちのランドセルが巨大化したのです。
教科書を厚くして教える内容を増やせば学力が上がるだろう
授業時間を増やせば学力が上がるだろう
授業時間数を増やしても、子どもたちの学力は上がりません。
集中力には限界があります。
だいだいマックスで90分間だそうです。
実に幅広い子どもたちが、同じクラスで同じ時間に同じ内容の授業を受けるのです。それが一斉授業というものです。長年小学校の教壇に立ってきた経験をもとに言わせてもらえば、小学校の先生たちは、ほとんどの場合、中の下くらいのレベルに合わせて授業をします。あまりレベルを上げすぎると、ついてこられない子が多くなります。かといって、レベルを下げすぎると、いつまでたっても次に進めず、1年で教科書の内容を終わることができなくなります。
しかしながら、中の下くらいに合わせても、それより学力が低い子たちはついてこられません。ですから、その子たちには個別指導が必要になります。ところが、個別指導をしたいと思っても、授業中に他の子たちはほったらかしにして、個別指導することはできません。休み時間に個別指導すればいいと思う人もいるかもしれませんが、実際には不可能です。というのも、そういう子たちは休み時間が楽しみで生きがいということが多いからです。休み時間や給食時間に友達とおしゃべりできるのが楽しみで、そのために学校にきている子も多いのです。その楽しみまで奪って個別指導するのは難しいことです。
それに、個別指導してそれでついてこられるようになるというならともかく、ほとんどの場合そんなに簡単な話ではありません。このようなわけで、教科書を厚くして教える内容を増やし、授業時間数を増やしても、大人数の一斉授業のままではその子たちはわからないまま座っている時間が増えるだけなのです。
日本は1学級あたりの人数が多すぎる
いちばん効果があるのはやはり少人数学級の実現です。
本気で教育改革をしようと思ったら、これを避けて通ることはできません。
学級規模が小さくなるほど学習の達成度が上がる。
つまり、40人学級より30人学級、30人学級より20人学級の方が学力が上がる。
米国テネシー州の実験(就学前~第3学年)では、小規模学級(13~17人)は通常学級(22~26人)より優れた成績をあげた
教育の分野こそ IOTを加速させていく必要がある。
デジタル黒板
VRでの授業
自宅学習を全生徒で行えるようなネット活用
動画のアップ
できる子はどんどん先に進んでいける授業の自由化
学校教育は何も変わらないし、何も変えない。
みんなスマホをもち、簡単にインターネットを使える時代。
いまだにスマホ禁止
ネット検索禁止。
辞書を使いなさい。
全くもって理不尽なことを言っている教師がいるそうです。
教員実習に行った方に話をする機会がありました。
昔と今と何ら変わっていないことに驚いたそうです。
いまだに、教師が一からプリントを作り、テストを作り
プリントして、採点して・・・・またプリントを作って。
ホッチキスも綺麗に閉じて。
めちゃくちゃアナログじゃないですか?
そりゃー仕事終わらないわ。
いまだにそれが美徳と思われているし。
みんな先輩教師がやっているから従うしかないそうです。
若手は雑巾掛けから始めろ精神。
何も決まらない会議
何も決めないのが大事だそうで、とりあえず遅くまで会議して頑張ってますよアピール。
子供達のランドセルが重くなっていても気にならないでしょうね。
実際、おかしいと思っていてもその中にいるとそれが当たり前になってしまうことがあります。
そこでおかしいことをおかしいと言うと変わり者扱いされるから。
無駄な会議と無駄な書類作成と無駄な行事の準備などで、気づいたら7時、8時です。仕事の量が、個人の能力などの問題ではなく、一人でできる量をはるかに越えています。(30代女性教員)
信じられないほど多い書類仕事。授業の準備時間は、勤務時間中にはない。(40代男性教員)
書類が多いとか皆さん言うけど、私にとっては「ああまたか。。。」と言う感じで感覚がおかしいんですかね?(30代女性教員)
4月は信じられないほどの量の書類提出がある。(50代男性教員)
様々な校務を同時並行でこなさなければならない。(30代男性教員)学校で処理しきれない仕事を持ち帰って自宅でおこなったり、休日に出勤して処理したりしなければならない。そうでもしなければ、学校が機能しない、よい教育ができない。(30代男性教員)ほとんど子どもの人生に影響しないであろう通知票の評定や所見に時間とエネルギーを吸い取られる。(50代男性教員)休日でも地域のお祭りの仕事や、市の取り組みに使われることがある。もちろん、手当てはない。(20代男性教員)
「地域とのつながり」とか言って平日の夜とか土日の行事とかに平気で狩り出される。これは法律違反だが管理職は無言の圧力をかけて出させる。(40代女性教員)
土日の地域のイベントやスポーツ関連(陸上など)などやりたくもないことに駆り出されることが多い。(20代男性教員)
コスト意識が全くない。(40代男性教員)
仕事ができることが伝わってしまうと、いろんな担当をやらされる。(20代女性教員)
出来る人にばかり仕事がくる。(30代女性教員)
どんなに働いても給料は一定。残業手当もないし。(40代男性教員)
「能ある鷹は身を滅ぼす」というのが現状で、できる人のところに仕事が集まり、できない人はそのままでいいというモチベーションが下がる職場環境がある。(40代男性教員)
New Style Generation × Mind Color
なんか、ソビエトの崩壊を見ているようですね
早速、見てくれてますね。
お疲れ様です。