3S政策とは・・・・?
・スクリーン SCREEN
・スポーツ SPORTS
・セックス SEX
第二次世界大戦後アメリカ・GHQは日本を支配するため,
日本人の興味関心を3S(映画やテレビ,スポーツとその観戦、風俗)に集中させることで政治に対して興味を向けさせないようにした。
猿(日本人)を『虚実の自由』という名の檻で、我々が飼うのだ。
方法は、彼らに多少の贅沢さと便利さを与えるだけで良い。
そして、スポーツ、スクリーン、セックス(3S)を解放させる。
これで、真実から目を背けさせることができる。
猿(日本人)は、我々の家畜だからだ。家畜が主人である我々のために貢献するのは、当然のことである。
そのために、我々の財産でもある家畜の肉体は、長寿にさせなければならない。
(化学物質などで)病気にさせて、しかも生かし続けるのだ。
これによって、我々は収穫を得続けるだろう。これは、勝戦国の権限でもある。
(ハリー・S・トルーマン)
ハリー・S・トルーマンは第33代大統領(在任:1945年4月12日 – 1953年1月20日)
この3S政策によって何が起きたか?
人口の爆発です。
国民をバカにすることで、政治に興味をなくさせる
その代わりに娯楽(パチンコ・競馬・酒・タバコ・ヒロポン)を大幅に供給することで、遊ぶということを覚えさせる。
【覚せい剤(ヒロポン)は戦時中からだが、
戦後、軍保有のヒロポンが市場に大量放出され一気に市民まで蔓延していくことに、
今でも年間10000人が検挙されている】
もう戦争は起こらない。
平和です。
働けば報われます。
子供は2〜3人、マイホーム、車、洗濯機、テレビ、冷蔵庫。これができれば一人前です。
みんなに共通の価値観・幸福感を植え付けること(3S)で混乱の日本を邪魔が入らないように作り直すには、他ごとに目が言っていたほうがやりやすい
さらに
【3R・5D・3S】
3Sだけではない。3R ・5Dを実行するとどうなるか?
3S
Screen (スクリーン)
Sports (スポーツ)
Sex (セックス)
3R
Revenge (復讐)
多大な犠牲を払った太平洋戦争。それは日本だけではないアメリカも同じだ。中でもパールハーバーを忘れるな【REMEMBER PEARL HARBOR】この言葉は永遠に語られていくことでしょう
Reform (改革)
強くなりすぎた財閥を解体させる
Revive (復活)
日本を復興させることで2度と立ち向かってこないように再教育させる
5D
Disarmament (軍縮)
武装の解除
Demilitarization (非軍事化)
軍隊を持たない
Deindustrialization (非工業化)
軍国主義を支えた工業生産を縮小さる
Decentralization (中心勢力解体)
大本営 財閥
Democratization (民主化)
今の日本アメリカ的民主化を実行させる
非核3原則
憲法第9条
もともと勤勉で従順な日本人
言われたことは、すんなり信じてしまう日本人
今度は言われた通りに、がむしゃらに働き出します。
過労死という言葉が生まれるほどに
テレビは、国民を馬鹿にする道具
お笑い・・・ひょうきん族 ドリフターズ
ドラマ・・・トレンディードラマ
時代劇・・・ワンパターン・正義は勝つ
偏向報道・・・テレビで流れる情報は正しい。なんの疑いもなく今までは信じられていた。
一時期はおバカタレントなんて言う人たちまで出てくる始末。
そして、時はたち・・・|どうなったのか?
バブルの時代は、
・高級ブランド品を買い漁る
・フェラーリ・ランボルギーニを買い漁る
・海外旅行に行き、買い物しまくる
・高ければ高いほど価値があるに違いない
やりすぎてアメリカを怒らせる
今の流行は、
TIKTOK
ユーチューブ
LINE
インスタグラム
FPS
今やみんな海外のもので遊んでいると言うこと
それになんの疑問も持たずに
国は政策で作れることが証明される
3S政策は日本が独自に始めたシステムではありません。
GHQ占領下の時に、勝戦国によって作り出された日本。
このシステムが稼働してバブルまで発展
3S効果がいきすぎた結果、お金が溢れ出すことになる
そして弾けて、デフレが始まります。
そこから人のマインドは壊れ萎縮し、なんとか体裁を守るためにより娯楽にシフトしていく
Focus
スクリーン・・・スマホの普及で、日本はどこの国よりもユーチューブ ・SNSをやり続ける
スポーツ・・・・日本でオリンピックが開催されたが大失敗。それを見て感化し行動に移したという話は特に聞かない。日本が強すぎるとルールを変えられる。でも日本は従うのみ
SEX ・・・・とんでもない早さに少子化に。代わりに日本のアダルトビデオ・アダルトグッズ・避妊グッズは世界一
これをアメリカから考えると、
3S政策を実行した結果、非常にいいデータがとれ、最終的に日本のITはアメリカに依存させることに成功させたといえます。